はじめまして。
HSP&HSC 親子で幸せを育てるカウンセラー 朝野なぎさ です。
あなたの悩みを解決するには
あなたとカウンセラーの相性がとても大切です。
ぜひ一度、読んでみてください。
母のぬくもりがほしかった幼少期
父と母、私、弟の4人家族の長女として育ちました。
父は、実の父親(以下祖父)から、「お前が生まれなければ、俺には別の人生があった。」と、否定されて育ち、酒とタバコで何も言えないストレスを発散させていました。母は完璧主義で神経質、過干渉であり無関心、「~すべきだ」「~しなければいけない」という価値観にとらわれ、常に自らを忙しくしていました。母は義理の祖父・叔父(統合失調症)を心の中で否定し、いつしか父にも怒りを向けるようになりました。今思えば、機能不全家族でした。
「あなたはお姉ちゃんなんだから。我慢しなさい。言うことを聞きなさい。」
幼い頃、母からよく言い聞かされました。
幼い私は、ただ、母と喜びを、感情を共有したかったのですが、私の望む愛情のぬくもりを感じられませんでした。私にとって安心を与えてくれる愛着関係ではありませんでした。母に私を見てほしい、母のぬくもりがほしい。その願いを否定され続けた私は、自分の気持ちを伝えるすべもなく、言葉が話せるようになる頃には、諦めることを学んでいました。私は母の機嫌をうかがい、子どもらしい振る舞いを何かと禁止されました。
大好きなお母さんに私は愛してもらえない。こんなに不安な、悲しい思いをするぐらいなら、感情に気づかないようにしよう。
不幸になる価値観を、無意識に取り込んでいました。そのことに気づくことなく、成長していきます。
人に怒りをぶつけない、母の様にはならない。
心に決めた小学生
「あなた(父)と結婚したのはやっぱり間違いだったわ!」
母は子どもの前でもお構いなしに声を荒げて言う人でした。
「あんた(父)なんか、生きている価値あるのか!!」酒に酔って仕事から帰ってきた父を、母はよく叩いて怒っていました。私はショックのあまり、しばらく体が動きませんでした。母の怒り狂った表情・叩く様子に恐怖を覚え、私は心に決めたことがあります。
私は人に怒りをぶつけない。絶対に母の様にはならない。
私は人から嫌なことをされてもNOと言えず、言いたいことが言えない、怒れなくなりました。不幸になる価値観を無意識に取り込み、怒りの感情を抑え込むようになりました。
母の様にはならないと思いながらも、心の奥底では、毒親な母であっても私に振り向いてほしかったのです。母の望み通りに酒飲みの父を否定することで、母に見捨てられないよう努力していました。父の否定=自分自身の否定とは、気づきもしませんでした。
自分の悲しみの感情に気づかない、中学生
中学生になる頃から、祖父と、叔父(統合失調症)への非難をとめどなく、聞かされるようになりました。祖父が好きという私の気持ちはないもののとして扱われ、私はショックでしたが、自分でも気づかないうちにその悲しい気持ちに蓋をし、母の気持ちを優先させました。母自身が認めてほしいと、わかってほしいと心から叫んでいるように私には感じられ、母を放っておくことはできませんでした。
私は自分の悲しみの感情に気づかないフリをして、自分の気持ちを鈍感にして、その後も自ら望んで母の愚痴聞き役を続けます。
祖父や父の存在否定=私の存在も否定している、と母はわかっていながらも、言い続けました。そこには、世代間連鎖がありました。
些細なことに傷つきやすく、自分自身にOKが出せない。自己肯定感が低い子ども
内気で引っ込み思案、石橋を二度三度と叩いて時には渡らないほどの心配性でした。
学校では、先生から他の男子が怒られているのに、自分が怒られているような気がして不安になって、なぜか私が落ち込んでいました。人の表情や雰囲気、些細な言葉遣いに敏感で、些細なことに傷つき、傷ついた自分の気持ちに蓋をして、人の気持ちを優先する子どもでした。
又、発表などの人前で話すことが苦手であがり症、声が小さく手も震え、顔が赤くなり、緊張して冷や汗が出る。なので、クラスなど集団では目立たないように行動していました。女子のグループには仲間はずれにされるのが怖くて、頑張って入ってはいたものの、心では常に独りぼっちでした。そんな自分はダメだと思っていました。自分自身にOKが出せず、自己肯定感が低い、そんな自分が嫌いでした。
完璧主義に拍車がかかる
高校生でも初めての就職先でも、いじめに遭いました。職場の先輩は、新入社員を無視・仲間はずれにし、去年までいじめられていた人は先輩に加担します。
そんな状況でも、先輩への怒りがある事すら気づかず、先輩も何か辛いことがあるのかもしれないと思っていました。自分で自分を必死に納得させ、周りにうまく助けを求められず、耐え続けました。仕事ができないからいじめられるんだと自分に言い聞かせました。仕事の成果として求められるレベルに、私は足りない、もっともっとと自分を追い込みながら仕事をし、完璧主義に拍車がかかりました。
私死のうとしていたんだ、これは…うつ…なんだ
人が気にしないような些細なことに気づきすぎ、先のことを考えすぎて、自分がしなくてもいい仕事を優先してしまっていました。必要以上に仕事を抱え込み、夜は寝付けず酒を呑み、朝は布団から起き上がれず栄養ドリンク剤を飲んで無理やり体を動かし、仕事に没頭していきます。
ある日、電車を待つホームで、頭は思考停止のまま、線路に向かって歩き出します。目の前で電車が通り過ぎ、改めて我に返ってゾッとし、足がすくんでしばらく動けませんでした。
私死のうとしていたんだ、これは…うつ…なんだ。
ぼんやりした頭で思いました。うつの薬を1錠だけ飲むと、頭がボーっとして何も考えられず、仕事・日常生活どころではありませんでした。
薬に頼ったら私ダメになる。自分の心は自分の考え方を変えて何とかするしかない。人に初めて助けを求めることができました。
心と体に出たストレスを、
無意識に、感じないようにしていた
転職し、人事異動で人が変わっても、また、いじめ・嫌がらせのある職場を選んでいました。いわゆるマウントをとられ、私はダメだと否定されることが多く、相手からは、相手の事をわかってくれ、認めてくれと言われているように私は感じてしまいます。私が勝手に相手の辛さに共感して何も言えず、無意識に自分の嫌という気持ちに蓋をしました。そして、自分で自分を必死に納得させ、周りにうまく助けを求められませんでした。
考え方をポジティブにしたら、仕事もしやすくなるかもしれない。本やネットを検索し、考え方を変えようとしますが、やはり、人の顔色やその場の空気を読んで、必要以上に相手に同情・共感して常に疲れていました。又、人が怒られていると、私も怒られているような気がして、なぜか私だけ落ち込んでいました。転職しても、思考を変えても、職場の人間関係の悩みは変わりません。睡眠障害やめまい、病気、手術など、心と体に症状が出るほどのストレスを抱えていても、仕事だからと自分に言い聞かせ、無意識に、感じないようにしていました。
うつ…?…自己嫌悪…子育ての理想と現実の違いの中で戸惑うの日々
結婚して子供にも恵まれましたが、仕事も家事も育児も、頑張り続けて抱え込み、中途半端な自分はダメだと思いながらも、慌ただしく時間は過ぎます。子どもの熱がでれば父に預け、仕事が終わると子どもの世話だけ終わらせて、時には子どもの世話すらできずに眠ってしまう、母の役割すら果たせない自分に自己嫌悪の日々でした。週末には子どもの甘えに付き合える程の気力もなく、自己否定感にさいなまれながら、疲れ果てて眠っていました。…うつ…?、考える余裕さえありません。
夫は、子どもが「嫌」と言うと自分のことだと思い込み、「もういいよ」とキレて、何かと部屋に引きこもり、子どもと関係を深めようとはしません。話しかけても、最低限の会話のみ、私も不安に押しつぶされそうになりながら、不満もたまり、些細なことで喧嘩が増え、常に重く苦しい雰囲気が流れていました。内気で敏感な娘は、私の機嫌をとったり、夫の機嫌をとったり、人の顔色ばかり伺う昔の私のようになっていました。どうしてこんな風になってしまったんだろう…、思っても、理由がわかりません。
さらに、子どもの何気ない言動に私はイライラし、行き場のないストレスを、子どもにぶつけてしまいます。気づけばあれほど嫌っていた母の様になっていました。本当は笑顔で子どもと過ごしたいのに、一度怒ると歯止めが利かず、後から自己嫌悪…子育ての理想と現実の違いの中で戸惑うの日々でした。周りの些細な変化に敏感で、繊細な長女。大好きなアニメの悪役が出てくる音楽でさえ怖くて耳をふさぐ、なんでこんなに怖がりなのか不思議でした。そのころ、HSCという言葉を知り、長女も私もこれだったのかと私は安堵します。
私はHSPだから、仕方がない。生きずらいのは仕方がない。私の人生は生きずらいのだから、あきらめよう。
無意識に取り込んでしまった不幸になる価値観を強化していることに、気付きませんでした。ポジティブに捉えようと頭で考えて、自分を納得させていました。
「私なんてどうでもいい。」
無意識に取り込んでしまった不幸になる価値観
退職し、父が亡くなり、夫とはもちろん、母、子どもたちとの関係がうまくいかないことに改めて目を向けます。今までは気づかないように、昔の母の様に、自分で自分を忙しくしていたのかもしれません。母との会話は過干渉で私の気持ちに無関心、二人でいると不快感を感じるようになりました。ある日、こんな言葉を母から聞きました。
「私、子ども嫌いなんだよね。(4歳の次女を家につれてこないで。)」
そうかもしれないと心のどこかで思いながらも、必死に打ち消してきた気持ちでした。私はあきらめ、母とは距離をおくようになりました。
長女は学校には行っていましたが、家では部屋にこもることが多く会話すらままならない状態でした。次女にもちょっとしたことで私は怒りをぶつけてしまい、またやってしまった…私はダメだ…自己嫌悪の日々でした。私が話しかけただけでも、次女自身が怒られたと感じるとクローゼットや机の下に隠れていました。夫には私が悪いといわれ、何をどうしたらよいかもわからず、私は益々不満と不安を募らせていました。
未来ある子供たちは、何とかしたい、私はカウンセリングにたどり着きました。
「子どもが元気に幸せに育ってくれたら……私は幸せだ。」と思っていました。この言葉の続き、私の心の中で、打ち消した言葉もあります。「私なんてどうでもいい。不幸でもいい。」無意識に取り込んでしまった不幸になる価値観に、気付きもしませんでした。
カウンセリングをうけて、自分自身にOKが出せるようになった
何度かカウンセリングを受けたある時、私はこんな話をしました。
「母も弟も、叔父が死んでくれればいい、と言う。」
カウンセラーの方に伝えた後、私は胸が苦しくなり、涙があふれ、次の言葉がなかなか出せませんでした。勇気をしぼりだして、続けます。
「…私が…死ねばいい…。」
母の言葉を聞くたびに、無意識に自分が死ねばいいと心を痛めて悲しんでいる、自分で自分を否定している私がいたのです。幼いころから無意識に取り込んだ不幸になる価値観で、自分で感情に蓋をし、感じないようにみないようにして、私を守っていたのです。
カウンセリングで、感情に気づき、私の心を満たすことで、しだいに母と私は別なんだ、私はここにいていい、自分自身でOKがだせるようになっていきました。
自分が満たされると家族や周りの人にも幸せが広がる
カウンセリングで子どものころの自分を癒し、自分が満たされることで、私自身、普段何気なくしていた人との会話・しぐさにも、喜びを感じ、幸せを感じられるようになりました。。口調や態度も以前より柔らかく、子どもにイライラする機会も減りました。子どもの笑顔がよりかわいく感じられ、次女は子供らしく、表情豊かに思いを伝え、喜怒哀楽をのびのびと表現してくれるようになりました。長女は反抗期に入りましたが、自分の気持ちを時には素直に伝えてくれ、ともに喜び合うことも増えました。私は夫の思いやりを感じ、夫・子供たちと感情を分かち合い、笑顔でいられることが増えました。日常生活の中で、自分が満たされると、喜びを分かち合え、家族や周りの人にも幸せが広がる、幸せの循環を感じています。
母(他人)は変えられない。私は変えられる。
今でも、母は叔父が死ねば楽になると心で思っています。周りを、自分をも否定し、今もその思いを抱えながらも、懸命に生きている。私も同じでした。
そう感じると、父も母も不幸になる価値観の中でもがき・あきらめもあり、又、父にとっての、母にとっての精一杯の愛情はきっとあって、私は自分の意思で受け取らなかったのだと今なら思えます。
今、幸せを感じ、喜びを家族で分かち合える私は、心理カウンセラーの方と一緒に取り組み、自分に向き合い、周りの人の優しさに気づけたからこそ、出会えた私です。
私が幸せなら、子どもも幸せに育つ、今ならそう思えます。
HSPという言葉が言われ始めた頃、子どもの中に、自分と同じ繊細なHSP気質を発見します。
生まれ持ったものだから仕方がないと諦め、ネガティブ思考をポジティブ思考にすればいいと、HSPの私はダメだと思い込みました。うつ症状を呈しながらも、我慢・頑張りすぎていることにすら気づかず、何とかしようと必死でした。本を読んだり、ネットで調べたり…。1人でできる範囲のことはやってみましたが、なかなか上手くいかず、こんなものかと内心あきらめていました。いつしか状況が悪化し自分の家族(子ども・夫・母親)との関係すら立ち行かなくなりました。
今思えば、間違った努力に限りある大切な人生の時間を費やし、カウンセリングで自分を変えたいと思えるまでに長い準備期間を要してきました。心理療法を学び、無意識に取り込んでしまった不幸になる価値観を手放すことで、自分自身にOKが出せるようになり、自分らしくラクに生きられるようになりました。幼児・思春期2人の子どもの母です。
自分らしい幸せな時間
第3者に悩みを打ち明けるとき、不安な気持ちになりませんか。だからといって、家族・友人に相談すると、逆にアドバイスされ、何かモヤモヤした気持ちが残ること、ありませんでしょうか。
心理カウンセラーは100%あなたの味方です。
話しているうちに、私こんなことに悩んでたんだと気づくこともあるかもしれません。
あなたの悩みの中には、きっとあなたの願いがあります。
あなたの人生は、限りある大切な時間です。
繊細なあなたらしい、幸せな時間であることを願っています。
自分で幸せを育て、笑顔の毎日が始まる、第一歩を踏み出してみませんか。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。